ナツタビ2010(5)

福島県にある祖父の実家に行くことになった。どうせ移動するのなら,とまたルートを捻ってしまうのが筆者である。
今回は南東北を東西(?)へ横断する非電化路線を訪ねてみることにした。


宇都宮線の下り始発列車に乗った。まだ6時前ではあるから立ち客はいない。
久喜や南栗橋などの乗り換え駅を過ぎても車内の状態に然程変化はなく、小山まで来てしまった。ここから水戸線に乗る。しかし車掌が案内するのは7:08の列車のことである。どうやらこの列車からの接続は元から取られていないらしい。それでも敢えてトライするのが筆者。丁度良く階段前の扉から降りられたので、軽く走ればもう水戸線ホームであった。

水戸線列車はE531系。3号車に乗る。小山を出たばかりは住宅街の中を走るが、それも田畑に変わり、駅付近以外は殆んど田畑の中という風になった。
下館、新治と続けて交換。座って見ている限りこの辺りは小山方面へ移動する人が多いようだ。大和を過ぎると里山が近付いて来た。立派な農家も幾つか見える。この辺りには入母屋が多いようだ。笠間を過ぎて立ち客が見られるようになった。高校生が多く目につく。

友部に到着。幾らか下車。ここから常磐線に入る。
次は水戸だというのにやけに緑ばかりだな、と思っていると偕楽園だった。

 
EF510やED75、EF81にDE10を横目に水戸に到着。乗って来た列車は然程混んでいなかったのに、駅構内は人でごった返していた。流石は県庁所在地である。

2番線で待っているとキハE130系が4連で入って来た。扉が開くと通勤通学らしい人がどっと降りて来る。流石は茨城県の県庁所在地である。列車は水戸寄りの2両を切り離す。
このキハE130系は2007年に登場した車輛で,片運転台車のキハE131・キハE132と両運転台のキハE130に大別することができる。車内はE531系をイメージさせるようなデザイン。外見も裾が絞られている点などE231系以降のJR東日本の鉄道車両の影響が見られる。

8:17発車。まもなく列車は堀の中を走るようになる。その頃から進行方向右手に高架橋が見えるようになった。橋の架け替え工事らしい。高架は隣の常陸青柳に届きそうだ。何でこんな大袈裟な、と思っていると左手で踏切待ちの渋滞が発生している。この解消も兼ねているのだろうか。

 
常磐津田を出ると緑の中を走るようになる。第4種踏切まである有り様で、水戸を出て10分も走っていないのにこんな風景が展開されるとは驚きである。

上菅谷から常陸太田支線へ入って行く。何故こんな支線があるのだろうか,と調べてみたらこの,支線と水戸の間は元々太田鉄道という会社が明治30年に開業させた区間らしい。それが明治34年に水戸鉄道により買収,同社は常陸大子方面へ路線を伸ばし,昭和2年に国有化,同社の経営していた路線をひっくるめて水郡線としたらしい。

額田からまた山の中に入ったかと思うと、すぐまた開けた場所に出て田圃の中を突っ切る。そうして常陸太田に到着する。
駅は改良工事中。元々駅の入口だった場所から入り、Uターンして改札を通り、また駅の入口から出るという風になっている。筆者は誤って待合所となっている旧ホーム側に出てしまった。その旧ホームはもう線路が取り払われて、重機が唸りを上げていた。
切妻屋根の駅舎は事前に見た写真に比べて古いという印象を受ける。古レールを使っている点も興味深い。改良工事の完成図を見るに、これは取り壊されて新しい駅舎となるらしい。駅前の道路を挟んだ反対側にはかつて日立電鉄の常北太田駅があったそうだが,空き地があるばかりだった。

  折り返しの水戸行きに乗る。片側1面1線の駅ばかりが続く。つまりこの支線には1列車しか入ることができないのだ。朝夕の時間帯でも1時間に1本しか運転できないというのは辛い。
上菅谷にて下車。この駅では支線の列車と両方面の列車が10分かそこらで連絡している為,非常に便利である。駅構内は駅本屋側から1面2線の島式ホームの1.2番線,片側1面1線の3番線とがある。各ホームは構内踏切で結ばれているが,ここには遮断機がない。あるのは車止めと接近表示機だけだ。それなので,同じく下車した人の殆どはいつ列車が出るとも知れないのにスタスタと改札方面へ行ってしまった。

駅前に出る。やけに広い,近年整備されたらしい道路が東側へと延びている。商店は余り見当たらない。地図を見てみると那珂市の市役所だったり中心部は幾らか離れた場所にあるそうだ。

  郡山行きの列車はE131・E132・キハE130による3両編成である。乗り込んでみると意外にも乗客がいて、ボックス席には2、3人ずつ座っていた。幸い地元の人が多いようなので,空くまで最後尾で後面展望をすることにする。このキハE130は実に速い。どの位速いかと云うと速度計が100を超えるくらいで、車内のアコモデーションと相まって電車に乗っているかのような気分になる。

玉川村でボックス席が空いたのでそこに座る。座席はキハ110系のように2人が向かい合って掛けるものと4人用のボックス席,扉付近に2人〜5人がけの座席が配置されている。
山方宿を過ぎた頃から久慈川が見え始めた。列車はその川っぷちのようなところを。
川が左手に離れていった頃に西金。ここは砂利の採取地となっておりホキが数両留置されていた。

上小川を出て暫くして最初のトンネルに入る。
ここで前の方に座っていた婆さんグループが車掌を捕まえて何やらしている。どうやら降りる駅を勘違いしてしまったらしい。乗り過ごすと怖いのがこういう線区。案の定次の上り列車まで1時間待ちということになった。

  常陸大子で後寄りの一両(キハE130系)を切り離す。駅構内には留置線があり,そこに数両のキハが留められていた。この駅では水郡線内で唯一駅弁を販売しているが,停車時間がただの切り離し時間2.3分というものなので買うことはしなかった。もっとも,時間があってもこの筆者だから買わなかったかも知れない。(そもそも購入には予約が必要である。)

キハE130系に乗っていた筆者は席の移動を余儀なくされたが,ここで大方の客が降りたので座れないということはなかった。
下野宮で同業者らしい人間が乗車。矢祭山から福島県内に入る。こういう路線の県境越え区間は大抵凄まじい風景が展開するものだが,ここは大したことがなかった。
開けて来たところで矢祭町の中心,東館に到着。ここ矢祭町は所謂平成の大合併にNOを突き付けた町。地方分権云々という幻想が唱えられる前より行政改革に乗り出したことで、全国から注目を集めることになった自治体である…と、いつかの講義で習った。


ナツタビ2010(6)
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