ナツタビ2009(1)
ナツタビ2009をお送りします。この旅行記の本文は,『快特94MP通信:第846回〜第872回』の内容を再編集しております。写真文章共に一杯一杯ですが,暫しお付き合いの程を。

3521M/U501
隠居先より数駅,久喜にて快速ラビットに乗り換える。東海道線がアクティー、高崎線がアーバン、ここはラビット、どうしてこうカタカナが好きなのだろう。中央特快の例はあるにしろ。
久喜を出て暫くは青田の中、極めて日本的な風景の中を走っていく。(何処かでみた表現だな。)栗橋の先で利根川を渡ると茨城県に入る。古河は高架上の駅。上越の新幹線の駅のよう。

きつい弧を描いて日光線が寄って来ると宇都宮。車内放送で乗り換え案内がされる。「宇都宮線下り宝積寺、那須塩原方面…」宇都宮線は上野-宇都宮間の愛称かと思っていたがそうではないらしい。

4分の接続で黒磯行きに乗り換える。211系3000番台。ここからドアは半自動扱いとなる。黒磯の手前で照明が落ち、電車は隋性で駅に入った。ここから先は交流電化区間。かっては白川の関などと言っていたが筆者にはこの黒磯が東北の入り口と感じられる。

続いての車両は701系。長野県民としてE127系を思い出さずにはいられぬが、電気方式に制御
装置、そして車内は似ても似つかない。アオハルユーザーには殊更不評だが、何もロングシート車を長距離で走らせている線区は他にもあるわけだし、此処では特段騒がずにおく。

発車する前くらいになって、大荷物を持った人々が乗り込んできた。歳の感じからして、大学の山岳部と見た。会話を聞くに一年生が2人程いるらしいが、確かにそう見える。シート二つ分空けた隣の彼は手の動きからしてスケッチをしているようだ。多分車内の人間でも描いているのだろう。

電車は黒田原の辺りから山の中を走るようになる。竹に松に杉にクヌギにその他諸々。この森の向こうに集落があるのだろうか。各駅でまとまった数の客を拾っていく。地元民とヨソ者が6:4くらいに混ざった電車は走る。

郡山から先はあいづライナーに乗る。事前調査をすることなくいたので、583系と云うのにはひどく驚かされた。乗るのは勿論、見るのも今回が初めてである。

自由席はそこそこ混んでいたので、録り鉄をすることにする。こういう特急型車両で録る場合、デッキでロケを行うのだが、このデッキかなり狭い。しかも一車両に一ヶ所しかない。その代わりに洗面台とお手洗いが二ヶ所づつある。

車窓はまもなく緑一色に染まる。最初にこの列車を知った時、余りの通過駅の多さに驚いたが、この山深さを見るに各駅とも利用客は少ないだろう。更科信号所で上り電車と交換。再び山中を分け入るようにして進む。曲線がある故、割りと速度は抑えている。

会津若松に到着すると殆どの乗客が降りた。その殆どが改札に向かう点,此処は一大観光地らしい。逆に改札口に真っ先に行かないのは同業者。車両も車両であるから5人ほどが先頭車両付近で撮影していた。こちらはと言えば人がいないことをいいことに583系の車内の撮影。高い天井に青いモケット,幅の広いシート,枕カバーが取り付けられていない点が惜しい。

食料を調達しようと駅前に出る。あかべこのオブジェや,白虎隊の銅像があり,かなり広い駅前からはバスが数本出ているようだ。歩いていると生鮮食品館の文字が目に入った。迷わず直進し弁当や飲み物を買う辺り,我ながら逞しい。

次の列車の入線時間まで撮り鐵。左はキハ110+キハE120+キハ110の磐越西線下り,右は会津鉄道キハ8500。元名古屋鉄道の車両。パノラマスーパー譲りの窓が実に大きい。しかし車体には所々に錆が浮き,第3セクター鉄道の経営の厳しさを感じた。

キハ47 515。「撮ってくれ」と言わんばかりの場所,光線条件,車両が写欲をそそる。
タラコや首都圏色とその道では呼ばれている(あ…えぇ,気動車はよく知らないので…)ようだが,いかにも手早く,お安く塗れそうな塗装に,当時の国鉄の台所事情が窺い知れる。

ナツタビ2009(2)

いい日旅立ち