卒業旅行‐2009春、西へ(5)‐ |
この日の集合時間は6時前。早起きは得意である筆者,しかし二度寝も同様に得意であった。 輝龍さんに電話をを掛けて貰わなければ一巻の終わり…と思った矢先,再び危機が。 「開 い て な い」こんな時間に出て行く我々も我々だが,通用口が閉じたままではないか。 5:30から開いているとあったのだが…諦めかけた時に門番(ぇ)登場。 走って走って松山駅,この913Dに乗ったというのが朝の騒動の顛末。 |
こんな朝に出てきたのは,本数の少ない旧ルートを乗り潰す為。優等列車は全て内子線経由で この路線を走らないのです。ジモトでいう辰野線のような存在ですが,こういう路線は決まって 自然が豊かなのです。森の中を走ったかと思えば瀬戸内海を見下ろし,菜の花畑の中を進む。 早起きは三文の徳などど昔の人は上手いことを言ったものです。 |
元々特急型だったものを改造。いえ魔改造したこの車両。リクライニング,テーブルは撤去。 自動ドアもなく,デッキのゴミ箱は…あら,まだ使える。流石JR四国。無人駅や単行の気道車内に ゴミ箱を置いているだけはある。美意識が高いのだろうか。 |
伊予大洲まで来て旧線と新線が合流。駅舎などを撮影する暇もなく1054D宇和海4号に乗車。 ご覧の通りのアンパンマン列車。四国名物アンパンマン列車。JR四国が作者にキャラクターの 使用料を支払うのだろうが,アンパンマンの宣伝にもなっている(今更宣伝する必要もない気が するが)訳だし,広告料が発生して…と夢の無いことを考える筆者。 |
すっかり日の昇った松山に到着。2000系の試作車であるTSEが停車していた。 試作車スキーの自分よりも輝龍さんの反応の方が早かったことを何故かはっきり憶えている。 ちなみにTSEとは“Trans Shikoku Experimental”(四国横断実験)の略。 |
松山に来たからにはこれは外せぬ,と坊ちゃん列車への乗車。松山駅前よりも,伊予鉄のホーム グラウンドである松山市駅前からの発着が多いということで移動。 次々とやって来ては折り返していく市内電車を眺めていれば汽笛一笛,坊ちゃん列車の登場。 |
「方向転換が面白いんです」という輝龍さんの言葉にどんなものかと様子を見ていると,成程。 ジャッキアップ→回転→着地と,市内電車の到着する合間を縫って実に手早い。 この車両は蒸気機関車風のディーゼル車。一種の架線下ディーゼルとでも言おうか。 |
車内を撮影。明治時代の客車をほぼそのまま再現したとあって椅子は木張り。 乗り心地は期待するなと言いたげだが,これも情緒を高めるための一つの演出と捉えれば良し。 発車すると程なくして後方の扉が開き,車掌が姿を現した。服装も当時のものを再現したと見える。 車掌は最初この列車の由緒を,各々の停留所や名所の前ではその案内を流暢に語った。 この列車に乗務する為に訓練されたのだろう。伊予鉄の強い意気込みが感じられる。 |
30分ほどで道後温泉に到着。乗って来た坊ちゃん列車は,奥の留置線で例の方向転換を済ませ, 画面右にある展示用側線に入った。ご丁寧に説明版まで取り付けられていたが,ここでは割愛。 市内電車で戻るとする。車両は2000形。元々京都市電で走っていた車両である。 |
途中で古町に寄りつつ,大手町の平面交差にやって来た。この,電車が電車に待たされる光景を 自機で収めたいが為である。両方の本数も結構あるし,すぐに例の構図が撮れるだろうと思って いたのだが・・・。2100形。ツリカケ車に混ざってVVVF車も走っている辺りがニクイ。 |
2000形。元京都市電(というのはついさっきも書いたか)。ピューゲルに排障器,ミラーに行き先を 示す丸い板。いかにも路面電車然としたスタイルが実に筆者のイメージに合っている。 |
50形。伊予鉄のオリジナル車両。昨日の土佐電鉄もそうであったが,四国の路面電車の塗装は 南国らしく実に明るい印象を受ける。ちなみに訪問当時,市内電車に全面広告車は存在しなかった。 これはポリシーなのかそもそも広告収入に頼る必要がないのだろうか。 |
松山を後にする前に無理を言って愛媛県庁を見ていくことにした。 県庁前停留所にて下車。近代建築オタクという程ではないので詳しいことは知らないが, 完成したのは1929年。帝冠様式を取り入れているそうで,その道では愛知県庁などと同じ分類に 属すそうだ。「白亜の殿堂」として威風堂々たる姿をデンと構えている様が実に良い。 |
卒業旅行‐2009春、西へ(6)‐ いい日旅立ち |