卒業旅行‐2009年春、ヂーゼルの国へ(4)‐
2071D。あしずり1号に乗車。車両は四国ご自慢の2000系である。
たった2両であるがために自由席はその殆んどが埋まっていた。かぶり付きのできる席(指定席)が
空いていたので、指定が取れるか車掌に尋ねると「…指定席券は車内では販売することができま
せん…。」発足21年にしてのJR各社間の格差が身に染みる。
客席には高校生らしい姿も。輝龍さん曰く「特急でないと通えない。」ごもっとも。

窪川にて下車。予土線‐しまんとグリーンライン‐に乗り換え。本数はかなり少なく、距離は長い。
言わば本日の鬼門…恐る恐る乗り込むと「♪ご乗車ありがとうございます」と聞き慣れた声が聞こ
えた。ジモ線のワンマン中の人ではないか。こんなところで聞くと拍子抜けする。
写真のキハ54は国鉄末期に登場。バスの臭いがするが訳もない,富士重工業製である。

愛称が示すように,列車は四万十川沿いを走っていく。写真は欄干の無い橋。沈下橋というそうな。
水没橋じゃないんだね(何のひねりもないな)。欄干をつける気が失せるほどに,この川,結構
水かさが増え,荒れるらしい。ニホンカワウソなんて住めるのだろうか。

遂に来ました,問題の駅。全国に珍名駅あれど,読みのインパクト第一位はこの駅に間違いない。
その名は「半家」,大事なことだからもう二回,「半家」「半家」です。こうはせまいと意識しながら,
輝龍さんともども吹き出し掛けたのは言うまでもない。


江川崎にて停車時間が設けられる。このような線区でのこのような停車は実に有り難い。
左奥の建物はかつて運転上の要点だったのだろう。全自動化と合理化で人の気配はない。
駅業務は委託,この写真の右側に村の特産品を売る商店があった。
駅から少し離れたところに「村の灯を消すな 予土線みんなで利用」の看板がうら淋しく立っていた。

列車はノロノロ進む。最高時速は65km/h。道理で77`を走るのに3時間近くかかる訳だ。
車窓に度々建設中の道路が見えた。この道路ができれば,地域の足としての役割は益々少なく
なってしまうだろう。下手をすれば廃止の憂き目を見ることに成りかねない…と部外者がほざく。

何度も繰り返すカーブと,凋落の歴史をそのまま表現した様な坂を転げ落ちると,終点宇和島。
その名を知っていたのはあの水産高校の痛ましい事故の報道を繰り返し見た為であろう。
駅前にはレプリカの軽便蒸気,宇和島牛の銅像があった。この牛は食うのではなく闘うことで有名な
牛らしい。牛と言えば最も怖いと言われる怪談「牛鬼」の発祥もこの宇和島ではなかったか。

1072D宇和海22号に乗車。こんな時間に松山を目指す様な人はいないのか,車内はほぼ写真の
様な状況だった。こう,色が白っぽいとスマートと言うより何だか安っぽく感じるから不思議なものだ。
発車すると進行方向右手に蒸機時代の給水塔や扇形庫が見えた。鉄道黄金時代の遺産か。
その後の記録も記憶もない。きっと松山まで寝てしまったのだろう。

松山に到着。市内電車に乗り道後温泉を目指す。目的はこの道後温泉本館。
近代木造建築スキーである以上,これを見ずして死ぬことは出来ぬ。風呂はついでと言っても良い。
1994年に国の重要文化財(文化施設)に,2009年に経済産業省の「近代化産業遺産」にそれぞれ
認定される他,かの宮崎駿監督作品に登場した「油屋」のモデルになったとか…ってことだけ書けば
いいですよね…漱石センセイ。

 
帰りも市内電車。市内電車と言っても市営では無く伊予鉄道の運営。車両は50形。伊予鉄の主力。
運転手が運転台に着く前に車内に向けて一礼。風呂上りということもあってか,すがすがしい気分になる。
走り出せば走り出したで,床下から唸りを上げるツリカケ駆動音(「モーターではない!」と主張しておく」)に
涙し,遥々やって来た甲斐があったなと思う松山の夜。

卒業旅行‐2009年春、ヂーゼルの国へ(5)‐

いい日旅立ち