ナツタビ2009(13)

目が覚めたのは多摩川を渡った辺り。横浜手前のおはよう放送にさえ気付かなかった。やはり3日間毎晩MLに乗るというのは体に堪えるようだ。恐ろしいことに,当初の計画ではこれにML九州が加わる予定であった。列車自体が消えてしまって実現は出来なかったが,残っていれば熊本まで行って,廃人同然で帰って来ることになったのかも知れない。

東京の8番線にに到着すると、ほどなくして隣7番線に静岡行きの373系が入線して来た。線路使用料の関係がどうとか云う話を聞くが実際のところはどうなのだろう。

京浜東北線で上野へと出る。上野からは東北本線(宇都宮線)に乗り継いだ。時刻はまだ6時前。乗り込んだ14号車には筆者を含め5人しか乗っていない。まだ寝たりなかったのか、大宮までの記憶がまるでない。ジモ駅を通過し小山まで出る。

小山にて両毛線に乗り換える。「5分ほどしか接続時間はないが別に問題ない」とタカをくくっていたら、これが案外歩かされる。(と言っても800m程度)東北新幹線高架下に6.8番線はあった。6.8という表示を見て「7番線は何処に」と探せばホームを進んだ先に頭端式ホーム跡があり,線路を引っ剥がしたであろう跡にバラストが残っていた。
電車は211系。速度は90km/hくらいか。線路は単線。一昨日の相模線もそうだったが、首都圏も少し郊外に出て来てみればこういう路線があるというものだ。東武日光線の高架が近付いて来ると栃木。島式1面2線。日光線と同じ高さのところにホームがあるが、利用者は下がってまた上るという手間がかかって面倒臭い。

大平下辺りから山が近付いてくる。線路の両脇は田畑で固められ、その向こうに集落なり民家なりがまとまっている。この旅ではこんなような風景を幾度も見掛けた。「鉄道が通じたことで、地域の個性が失われていった」という主張があるが、間違っていないのではないかと思う。

荒々しさを剥き出しにした岩山を仰ぎ見て岩舟。その先佐野までが複線となる。山が遠ざかって住宅が両際を固めるようになると佐野。4分間停車したが東武線との接続を取るというのでも,交換という訳でもなかった。足利に着くと終点ではないかて見まごうばかりに人が降りた。瓦葺きの駅舎が非常に気になる。そしてEF60が保存(放置?)されている理由も。

わたらせ渓谷鉄道が接続する桐生を出ると暫くして渡良瀬川を渡る。並行する上毛電鉄の鉄橋が見えた。高架工事中の伊勢崎を過ぎ,新前橋まで来て両毛線完乗。

高崎よりマリンブルーくじらなみ号に乗車。
海水浴客に向けて運転される列車だが浮き輪もボートもヒレも網棚には乗っていない。当然か。
運転区間が熊谷までというのも不思議な列車である。(「面倒なので大宮まで直通して欲しい」と思ったというのが実のところ)
OM102編成の1号車は簡易リクライニングシート。
いつか師匠が、けちょんけちょんに貶していたのはこれか!一つのレバーで座面背面共にズレるようになっていて、微調整はできない。こんな中途半端なものなら背面だけ倒れるもので結構。降り際に見た2号車がGU車であったことで余計にがっかりさせられた。

熊谷のホームに降り立つと爆音が鳴り響いた。秩父鉄道の向こうの闇に大輪の華が咲く。田舎の有名な(色んな意味で)花火大会でさえ駅や車内から見ることがなかったから、これは初めての経験である。もう少し見ていたいとも思ったが、意地が悪いことに後続の列車が来てしまった。

夜の上り高崎線電車は空いていた。
この時間に東京方面に出て行く人もそうはいないから当然のことか。疲れている筈なのに何故か眠ることはできなかった。頭の中を今回の旅で見た情景がぐるぐると走馬灯のように駆け巡るのである。

まだ残っていた日本、無機的なのに活気ある朝の工業地帯、希望と共に延びる新幹線高架、夕闇に佇む終着駅。改めて鉄道というものがあらゆるこの国の姿を見せてくれる、ただの交通機関として片付けられないものであることを実感させられた。


ナツタビ2009(おわり)

いい日旅立ち