山行き電車に乗って
今でこそすっかり上高地線に漬かっているきたうちですが,その初訪問は厨ニ…いえ中学2年生の時でした。
今回はその時の様子を,厨二…中二…いややはり厨ニ成分がふんだんに盛り込まれた当時の記録と共にお送りいたします。
(青字が当時の記述です。)

本日は、松本電鉄上高地線に初乗車するのです。ここで、上高地線について簡単に説明
上高地線とは,松本市の松本から波田町の新島々までを結ぶ、約15qの路線,車輌は全て元京王帝都電鉄の3000系。
ドラマ白線流しなどにも登場し、一躍注目を浴びた。昭和58年の台風災害により新島々〜島々駅間が廃止になっている。
 
 
JRの駅を間借りしています。大糸線ホームに隣接する形で設けられているので、誤乗防止の放送が頻繁に流れていました。(左)
こんなベンチを発見
「お年寄りやお体の不自由なお客様のお席です」
しかし、当のお年寄りは座りたがらない様で、隣の木のベンチに座っていました。(右)

7番線から見る風景も随分と変わりました。この頃は松本駅の東西自由通路が工事中,今よりずっと明るく開放的でありました。
それはそうとこのFRP製のベンチに対するコメント,この頃から現在の皮肉っぽさが出ていたようです。


旧島々駅舎。新島々〜島々間廃止後に、地元の強い要望を受け、この場所に移築したそうです。観光案内所になっていると書きましたが、物産販売所としても利用されています。ここで、目についたのが「アイスキャンデー」ののぼり、即、購入しました。(左)
がらがらの電車は私と親子連れ、老夫婦を乗せて出発(右)

新島々駅舎の前にある旧島々駅舎でアイスキャンデーを買って食べた記憶があります。如何せん暑い日でありました。
折り返し電車の乗客は筆者ほか数人。各地のローカル線が厳しい状況にあることぐらいは一丁前に知っていましたから「ここもそうなんだな」と思ったのでしょう。しかし既に上高地がシーズンインしている状況でこの空き具合は不思議です。

新村駅舎
古き良き時代を思い起こさせるこの駅舎は1921年10月2日の開業当時のものだそうです。
この駅の駅長さんの人柄が非常に良くて、構内の見学の許可は勿論、駅事務所を見せて戴いたり、非常に充実した時間を過ごす事ができました。この場を借りて、厚く感謝を申し上げます。

 
ED301
(左)
米国ウェスティングハウス/ボールドウィン社製、1960年に松本電鉄にやって来たが、貨物輸送の廃止により
現在は定期運用を持たない。写真の様に、新村車庫に可動状態で留置してある。

5000系
(右)
ドラマ、白線流しにも登場した車輌。1986年に投入され、「白カエル」と呼ばれた。2000年7月の3000系の登場により、活躍の場を狭められ、遂に同月16日、定期運用から離脱した。現在は、一編成が新村車庫に留置されている。

この時はまだED301は自力で動くことができたのです。この年の冬に主電動機が故障して以来休車,廃車となって現在に至ります。そして5000形!引退から5年が経過し野ざらしのまま醜悪な姿を(失礼)晒しておりました。この車両がこの後,現役当時の色に塗り直され,更には元の緑色に復元される,しかもその作業を自分自身の手で行うことになろうとはこの時露とも知らず…。

 
駅に戻り、構内ウオッチングを開始…の前に声をかけられました。「お兄ちゃん、(裏から回って)入りなよ。」
構内の次は駅事務所、感謝するばかりです。事務所ではこのようなものを見せて貰いました。
 タブレットキャリア
(左)/発券機(右)

この時お世話になったHさんは現在松本電鉄を退職されていますが,お住まいが近所ということもあって今でも度々顔を会わせます。「なんて素晴らしい鉄道だろう!」という上高地線に対する筆者の絶対的な印象を決定づけた方であります。
交流の舞台となった新村駅舎の存在も非常に大きなものでした。あの歴史の重みといいますか,何か圧倒的なものを持ってして迫ってくる雰囲気が,今日まで筆者に影響を与え続けているのだと思います。

ホームより.かつての貨物用側線(本線と比べ重量の低いレールを使っていることが分かる)をみます.この櫓のようなものは,架線を直すための作業車..写真を見るに木造.この時点で使われていたかどうかは不明ですが,この数年後には綺麗さっぱり姿を消していました.ちなみにあと1年早く来ていれば両運転台の5007-5008編成が見られた筈.

 
 帰りの電車がやって参りました。

電車が装着しているヘッドマークは「サイクルトレイン」のもの.この訪問のつい先頃に始まったものです.ただ,利用時の制約が多いことからその後利用者数は伸びていない模様.もっとも,夏場は登山者で非常に混み合うことから自転車を持ち込むとなると難しい部分があります.右写真は松本へ到着する前の車内の様子.この時は20名ほどが乗っていたでしょうか.

以上が,私が上高地線とはじめて出会った日の記録であります.

いい日旅立ち